17.無題
音を聞いていないとこわい、無音が苦手だ。
だからといって、うるさい環境はなお苦手だ。
誰も見ていないところで、僕が何を書いて、何を聞いて、何を見て、何をしているかなど分からないだろう。
今日はベッドにほぼずっといた。
昨日の両親との会話は有意義であっただろうか。
1日、1週間、1ヶ月の流れが早い。特に何をしている訳ではないのに。
今日は全てを吐き出そう。
先週はブリーチの漫画を1巻から読み返し、全て読み終えた。漫画は本当に現実逃避にはもってこいだと思う。ずっと、漫画を読んでいるだけでいられたら、アニメを見ているだけでいられたら、と思う。
この世の中は(日本)資本主義だ。結局はマネタイズしなければ、何にもならないと考えてしまう。しかし、それも合っているとは限らない。
勿論、合ってる、合っていないという概念そのものがこの世には存在していない。強いていえば、法律くらいだろう。
私はあまり法律を知らない。これは、もしかしたら良いことではないのかもしれない。自分にとって。
今、文章を書いていることにほとんど意味はない。ただの自己満である。私はつい最近まで自己満=人生であると考えていた。これは、正しくも、正しくなくもない。
なぜ人は生きるか、こんなこと考えても答えはやはりない。
しかし、考えてしまう。それはなぜか。自身がよくあろうとするからだろう。では、自身にとっての良いとはなんだろう。わからない。
本当にこれが難しい。薬のせいだろうか、そうではないのか、検討もつかない。
誰にも見られていないと分かると文章構成などのない意味不明な文章を書いていることが許される。
とても、楽だ。
友達といることは好きだ、だがそれ以上にもしかしたら一人でいることの方が好きなのかもしれない。
今は自分で何を書いているのか分からない。とても冴えているようで、冴えていない。
何故かSCANDALを流している。
僕は何故音楽があんなにも好きなんだろうか。周囲の音を遮断できるからだろうか。周囲の音が苦手なのだろうか。これは周囲が自身について、話かけてくるように考えるからだろうか。
どうにもわからない。
しかし、最近は音楽もあまり聞かない。何故、こんなにも適当な文章をダラダラと書いているのだろう。これが何か意味を持つと考えているのだろうか。
発信している気がしているからだろうか。何もしていない自分に違和感や無力感を感じているからではないからだろうか。
僕は恵まれている。友人にも家族にもそれは思い込みなのだろうか、それとも自身が本当にそう思っているからだろうか。そう思うことで自分を抑え込んでいるのだろうか。
今日は文章が長くなる、短い日との違いは一体全体なんなんだろか。自分でもわからない。自分でわからないことを他者に共有することは本当に難しい。
読まれない文章もここでしまいにしよう。
今日の自分にお疲れとだけ伝えて。
10〜35
しょき 6月23日
16.ふわふわ
ゆらゆら。
20〜50
しょき 6月22日
15.波
今日は大きいかも。
15〜50
しょき 6月21日
13.纏まり
今日は昨日と打って変わってまとまらない日だ。
50
6月19日 しょき
12.永遠の命題
焦燥
何に対してだろう。
将来、世間体、お金、生きる
数え出したらキリがないのかもしれない。
みんな生きるのに大変だ。
ならなんでいきるのだろうか?
意味なんてものはないってわかっていても、考えてしまう。
そうゆう生き物が人間なんだろう。
人間以外に自身の生の意味について考える生き物はいるのだろうか?
おそらくいないだろう。これこそデカルトの「我思う、故に我あり」なのだろうか。
究極の生命の存在意義は子孫繁栄だろう。
だから、そのような話は良くも悪くももりあがるのだろう。
それがどうでもよくなると人はなにを求めるのだろうか。自身でそれを探すことが楽しみであると分かっていても、今の僕の頭では考えることができない。もしくは、考えようとするとおかしくなりそうだ。
今日は何故か思考の言語化が割とできる日だ。
むちゃくちゃな文章かもしれないけど、あとで読み返した時になんとなく分かればそれでいい。
以前のあるものを手に入れたが、まだ思っていたよりハマれないでいる。今後に期待だ。
自分のことを一番分かっているのは自分、だとよく言うけれどそんなこともないのかもしれない。自分のことすらわからないし、他人のことなんかもっとわからない。
わからないことは面白いことでもあるけれど、今の僕にとってはめんどうの方が大きく上回る。
特にまとまりはないが今日はこのくらいでキリをつけよう。
おやすみなさい。
20〜40
しょき 6月18日
11.忘
集中してたら日づけまたいでた。
歯医者にゆく日。
50
しょき 6月17日