12.永遠の命題
焦燥
何に対してだろう。
将来、世間体、お金、生きる
数え出したらキリがないのかもしれない。
みんな生きるのに大変だ。
ならなんでいきるのだろうか?
意味なんてものはないってわかっていても、考えてしまう。
そうゆう生き物が人間なんだろう。
人間以外に自身の生の意味について考える生き物はいるのだろうか?
おそらくいないだろう。これこそデカルトの「我思う、故に我あり」なのだろうか。
究極の生命の存在意義は子孫繁栄だろう。
だから、そのような話は良くも悪くももりあがるのだろう。
それがどうでもよくなると人はなにを求めるのだろうか。自身でそれを探すことが楽しみであると分かっていても、今の僕の頭では考えることができない。もしくは、考えようとするとおかしくなりそうだ。
今日は何故か思考の言語化が割とできる日だ。
むちゃくちゃな文章かもしれないけど、あとで読み返した時になんとなく分かればそれでいい。
以前のあるものを手に入れたが、まだ思っていたよりハマれないでいる。今後に期待だ。
自分のことを一番分かっているのは自分、だとよく言うけれどそんなこともないのかもしれない。自分のことすらわからないし、他人のことなんかもっとわからない。
わからないことは面白いことでもあるけれど、今の僕にとってはめんどうの方が大きく上回る。
特にまとまりはないが今日はこのくらいでキリをつけよう。
おやすみなさい。
20〜40
しょき 6月18日